2024年5月17日金曜日

Think About Me

Sara

Tusk

(14)TUSK

WEL1*FRENCH KISS

You Make Loving Fun

Don't Stop

Dreams

(13)Rumours (1977/2/4)

Go Your Own Way

Go Your Own Way

「Rumours」の先行シングルとして76年12月にリリースされた”Go Your Own Way”はリンジーによる力強いロックンロールです。レコーディング時にはカップルだったリンジーとスティーヴィー・ニックスは別れ、これはリンジーに対するスティーヴィーの別れの申し出の返答と言われています。




2024年5月15日水曜日

Say You Love Me

 Say You Love Me

英で4枚目米で3枚目となった「ファンタ」からのシングル。

シングルは編集ヴァージョンでフェード・アウトが早いものの、アルバム・ヴァージョンとさほど変わりない。クリスティンは新メンバーで最初にリハーサルした曲でスティーヴィーのハーモニーが最初から最高だったと語っています。最高位11位(米)/40位(英)でイギリスでは久々にヒット曲が出た感じ。



Rhiannon

 Rhiannon

「ファンタスティック・マック」の中でスティーヴィーを印象付けたこの曲は、「ウェールズの魔女についての歌だ」といつも歌う前のMCで話してました。実はバッキンガム・ニックス時代のナンバーだった事が発掘された75年のバッキンガム・ニックスのラジオ音源で知りました。セカンドシングルで最高位11位。

77年の初来日

08年のソロライヴ(@シカゴ)から。


どの時代もしっかりロックしてるのが印象的。

Over My Head

 Over My Head

「ファンタスティック・マック」からの最初のシングルは米ではこの”Over My Head”でした。それでもアルバム6月リリースから3か月だった9月に、英では先行シングル”Warm Ways”に続くものでした。アルバムはゆったりとフェードインしてくるもの。シングルはいきなりはじまるものとヴァージョン違います。どちらもリンジーの弾くアコギが独特の硬い印象でいいアクセントになっています。クリスティンの書くメロディーは前作「Heroes~」からさらに進化しマイルドでジェントリー。最高位20位とこの時点でマック最大のヒットシングルになりました。

いきなり始まるシングル・ヴァージョン

フェードインのアルバム・ヴァージョン

ライヴでは曲の前にリンジーが肩慣らし的なフレーズのイントロをつけます。



「Tusk」ツアーの「Live」では”First singel from White Fleetwood Mac abum”のMCが。これが一番慣れ親しんだヴァージョン。



2024年5月12日日曜日

(12)FLEETWOOD MAC (1975/6/11)

 (12)FLEETWOOD MAC (Reprise:MS2225) 1975/6/11

74年のツアー終了後にボブ・ウエルチはバンドを辞めますが、ミック社長はレコーディング・スタジオのSound Cityでデモを耳にした(聞かせたのは次のLPのprodとなるエンジニアのキース・オルセン)バッキンガム・ニックスのリンジー・バッキンガムの参加を要請。リンジーはパートナーと一緒ならという案で同意。ウエルチ残留案もあったのですが結果的に二人の女性voをフィーチャーしたユニークな11期のスタートとなりました。

10枚目のオリジナル・アルバム「Fleetwood Mac」は結局58週目に#1となるそれまでで最高のセールスを記録しています。しかしブレイクは突然だったわけではなくじわじわとでした。

75年7月にアルバムリリース後長いツアーがスタートし評判を呼んでじわじわと注目されます。リンジーの書いた力強いA①ではバディ・ホリースタイルのロックンロール(といってもスペンサーのいた時期とはずいぶん違います)。イギリスでは最初のシングルとなったA②はクリスティン作のゆったりしたナンバーで、これを何故英Repriseは選ぶか?という感じ。悪くはないけどパンチには欠けます。元クレイジー・ホースのカーティス兄弟が書いたA③はリンジーが歌う高速のロックンロール。このアルバムのブレイクを呼んだ米での最初のヒットA④に続いてスティーヴィーによるセカンドヒットのA⑤を挟んで、バッキンガム・ニックス時代のリメイクになるA⑥。スティーヴィーのハーモニーも冴える名演です。


こっちがオリジナル。
サードヒットのB①に続いてスティーヴィーのB②は父親に捧げられたナンバーでしっとりとしたフォ-クロック。ずいぶん後の話ですがクリスティンの死後追悼でソロでのライヴで歌ったこの曲ではクリスティンとのスライド満載で泣かせました。ちょっとウエルチ時代を思わせるB③はブルージーな香りにワールド・ミュージック的なアフリカン・リズムを盛り込んだもの。しかしベースとなってるのは英~アイリッシュの民謡のダンス音楽のリールに4つ打ちのdsをいれたもの(北中)でこの辺はクリスティンの味付けか。

クリスティンのB④ではワディ・ワクテル(g)が参加。A④と”You Make Loving Fun”を結ぶような曲です。動画は別ヴァージョン。ちょっと”Think About Me”にも通じるものがあります。

B⑤はヘヴィながらドラマティックにもりあがるリンジー曲。






BN*BUCKINGHAM NICKS

(11)HEROES ARE HARD TO FIND

 (11)HEROES ARE HARD TO FIND (Reprise 1974/9/13


「Mystery To Me」のツアー中止によって発生した偽マック事件、さらにそれに伴う裁判などバンドをめぐるゴタゴタで、それまで米のマーケットを意識しつつ拠点は英においていたメンバーはついに渡米し住居を構えることに。新作のレコーディングもLAのAngel Cityで行われました。4人となった第10期です。

11曲中7曲をウエルチが書いています。A②③はウエルチの持ち味であるダークな味わいの曲でイントロ部分が1/3を占める演奏中心のA③とA④は組になっている印象。

A⑤は”Night Watch”にも通じるアフリカン・リズムが隠し味になっています。取り上げたテーマも70's的。この時期のDKRCではサポートkbとしてエンジニアのダグ・グレイヴスが参加。

A面の4曲はどれもポップなメロディーとは言えないのですがB面へ来るとキャッチーなメロディーの曲が並んでいます。B①はシングルにしてもよかったいい曲。B③もまたメロディアスで”ポール・マッカートニーやエッタ・ジェイムズのように歌えたら~”と歌われるナンバーです。ジャズっぽいムードのB⑤に続いてA②のアウトロのような小品B⑥でエンディングを迎えます。それまでのウエルチ曲に比べてやり切った感が強く、実際リリース後まもなくウエルチは脱退します。

クリスティンの4曲はもうバッキンガム・ニックス時代と比べても遜色のないメロディーを持っていて、シングル曲のA①はホーンズも加わりR&B的な味わい。A④はしっとり系のドラマティックなバラード。B②はウエルチのダークな曲を引きずったようなクリスティンにしては珍しい曲です。B④は後の”Wish You Were Here”的なメロディーを持ったバラードです。

久々にジャケットに登場したミック社長は当時3歳の娘アメリアと一緒に奇妙なポーズを取っています。米ではこれまでで最高の34位まで上昇しています。

(10)MYSTERY TO ME (1973/10/15)

 (10)MYSTERY TO ME(Reprise:K44248)1973/10/15










A)①Emrald Eyes②Believe Me③Just Crazy Love④Hypnotized⑤Forever

 ⑥Keep On Dancing

B)①The City②Miles Away③Somebody④The Way I Feel⑤For Your Love

 ⑥Why

結果的にウォーカーの脱退はバンドの音楽に統一感をもたらしました。メロディーはますます親しみやすくポップになりながらもブルーズ・バンド出身らしくそれ風の部分は残しています。前作同様ハンプシャーのベニフォールドにRolling Stones Mobile Unitを持ち込んでのレコーディングとなりました。久々に12曲収録となりウエルチが7曲書き歌います。

A①はアルバム・タイトルの一節が入ったやや重い曲。A④はマイナー・コードでバッキンガム・ニックス時代の初期、リンジーが歌っておりました。タイトなdsのイントロで途中までちょっとジャズっぽいムードある異色の曲。動画はバッキンガム・ニックス参加後最初期のライヴから。

A⑤は珍しくマクヴィー=ウエストン=ウエルチの共作でダンサブルなこれまた異色の曲。B①は後のパリスにムードが近い(イントロの変則スライドはウエストンでしょう)。トーキング調のB②はウエルチのダーク路線の曲。

B③はファンキー路線でウエストンの籠ったgが新境地。英米でシングルとなった(日本盤も久しぶりに出た)B⑤はヤードバーズで知られるグラハム・グールドマン曲。なんとしてもヒット曲が欲しかったのですがこれも不発でした。

クリスティンは4曲書いて5曲で歌いますが、ソングライターとしてさらに充実の時期を迎えます。A②はMidnight Specialのライヴではイントロのウエストンのgソロが入るブギロック。


A③はキャッチーなメロディーがシングル向きだと思いますがセレクトされませんでした。A⑥はウエルチの曲ですが音域がクリスティン向きということで歌います。ちょっとディスコ風のarrですがメインのメロディーはそうでもないです。B④⑥の様なバラードはバッキンガム・ニックス時代に開花するポップなメロディーです。B⑥は短期間ですがライヴのレパートリーとなりました。

B⑤の代わりに”Good Things”という曲が入ったヴァージョンもあるのだとか。その曲は20年のリマスターでお目見えしたウエルチ曲で、のちにソロで再演。その際"Don't Wait Too Long”と改題されました。米67位まで上昇。

内容は充実しておりましたが、バンド内には不穏な空気があり、マクヴィーのアルコール癖、クリスティンとprodのバーチの不倫、更にミック社長夫人のジェニーとウエストンの不倫問題があり、これが米ツアー中に露見して10月のネブラスカ公演を最後にバンドからウエストンは解雇。バンドはツアー続行は不可能とするも、マネージャーのクリフォード・デイヴィスが、ツアーキャンセルによる賠償金を避け、別のメンバーによる偽バンド(Bogus Fleetwood Macと呼ばれた)を組ませ、このバンドとミック社長とでツアーを続行しようとしたが結局はキャンセルとなる。この偽バンドはストレッチと改名後一連の顛末を歌にして”Why Did You Do It?”としてリリースしヒットさせました。

結局は負債を負ったバンドはバンド名の権利を主張するマネージャーのデイヴィスと対立し法廷で争う形となり(最終的に解決したのは78年のことらしい)、このメンバーによるライヴや新作のレコーディングもストップさせられバンド最大の危機に陥ることになったのでした。


(9)PENGUIN (1973/3/1)

 (9)PENGUIN(Reprise:K44235) 1973/3/1









A)①Remember Me②Bright Fire③Dissatisfied④(I'm A)Road Runner

B)①The Derelict②Revelation③Did You Ever Love Me?④Night Watch

 ⑤Caught In The Rain

ダニー・カーワンを解雇したバンドは新たに元サヴォイ・ブラウンのデイヴ・ウォーカー(vo)、元アシュカン、アシュマン・レイノルズのボブ・ウエストン(g,vo)を加え第8期をスタートさせました。ここには元サヴォイのマネージャーだったジョン・クラージュがスタッフとして加わった事もあったかもしれません。Rolling Stone Mobile Unitを彼らの根拠であるハンプシャーのベニフォールドに持ち込んでのレコーディングとなりました。

結果としてウォーカーのvoスタイルはバンドに合わず短期間での脱退となりました。ジュニア・ウォーカーのカヴァーA④は悪くはないですが当時のマック的ではないですし、カントリー的なB①もちょっとビミョー。A④ではウォーカーはharpも吹き、ウエストンはB①でbanjoとharpを担当。

ざらついたウエストンのスライドで始まるA①はクリスティンが書いたナンバーでそれまでにない明るさがあります。短い曲ですが印象に残ります。米ではシングルカットされました。

クリスティンが歌う他のA③B③のどちらも泥くさいだけでなくポップな味わいがあってソングライティングのセンスが前作から一つ高いレベルに上がっています。ウエルチとの共作になるB③はシングル曲(英米で同じ曲がシングルになるのは”Manalishi”以来)。steel-dsが使われています。

前作「Bare Trees」でもmelotronを使った”The Ghost”がありましたがウエルチの書いたA②もこの楽器のflute的な音が効果的に使われてサイケ風味を高めています。ボブ・ウエルチ曲で、やや”Future Games”に通じるメロディー。マクヴィーのbassが心地いい。

B②はアフリカン・リズムのものでこの路線はしばしばダークな曲の印象を受けます。B③はスティーヴ・ナイ(organ)が参加。この人をを正式メンバーと書いてるものもありますがどうか不明。参加したのはこの曲のみ。エンディングのgソロはピーター・グリーンで前回のツアー参加のお礼の意味もあったようです(ただ病状は良くなったとは思えません)。

B⑤はちょっとミニマルなムードのマックにしては珍しい曲でボブ・ウエストン作。これはこれで珍品なんですがリンジー期の小品にムードが似てます。


prodはバンドとマーティン・バーチ。シングルは英米不発でしたが米49位までアルバムは上がりました。5月までツアー(この頃はメインは全米ツアー)が続きウォーカーが脱退し、第9期となります。


SP2*CHILDREN OF GOD

 

2024年5月11日土曜日

(8)BARE TREES (1972/3/6)

 (8)BARE TREES(Reprise:K44181)1972/3/6(US)










A)①Child Of Mine②The Ghost③Homeward Bound④Sunny Side Of Heaven

B)①Bare Trees②Sentimental Lady③Danny's Chant④Spare Me A Little

 ⑤Dust⑥Thoughts On A Grey Day 

前2作が米高英低のセールスだったこと、さらにCBS時代のベスト盤が好セールスだったこともあって、6thアルバムの「Bare Trees」は、米で72年3月、英で9月リリースとなり、米マーケットに狙いをつけた形となりました。

A①④B①③⑤と半数近くをカーワンが書いていますがテンポの速いストレートな曲(A①B①③)中心でメロディに乏しく好みではないことが個人的な低評価につながっています。A④はインストで前作「Future Games」の流れを汲むソフトな音作り。タイトル曲のB①はジョン・マクヴィーによるジャケット写真とイメージがつながります。


B⑤もインストに近くノイジーなカーワンのgをたっぷりとフィーチャー。一方英フォーク・ロック的なB⑤はいいメロディーだと思います。英の戦争詩人ルパート・ブルックのものにヒントを得たらしい。72年5月のカリフォルニアのライヴから。

ウエルチのA②は珍しくクリスティンがmelotronを弾きfluteの音を出しています。サイケ風の意匠とメロディーがよく合っています。72年の米ツアーのライヴ音源がありました。

ウエルチがソロで再演するB②もいいメロディーでクリスティンのハーモニーが映えます。米ではシングルカットされています。

クリスティンのA③はツアー疲れで自宅のベッドで眠りたいという願望が根底にあったといわれます。動画はシカゴでのライヴ音源。

B④はジョニー・リヴァースやジャッキー・デシャノンにも取り上げられソングライターとしての名を大きく売った1曲。英では”Dragonfly”以来1年ぶりのシングルになりました。またバッキンガム=ニックス時代初期にもレパートリーに入っておりました。


そして最後のB⑥はバンドが拠点としていたベニフォールドの近くに住んでいたスカロット老婦人による朗読で全く意味不明です。

英チャートインせず、米70位ですが、日本では「Mystery To Me」と並んで廃盤にならず長い期間カタログに残っておりました。

カーワンのアルコール依存がひどくなり、リリース後のツアー中にバンドから解雇されています。

(7)FUTURE GAMES (1971/9/3)

 (7)FUTURE GAMES(Reprise:K44153)1971/9/3










A)①Woman Of 1000 Years②Morning Rain③What A Shame④Future Games

B)①Sands Of Time②Sometimes③Lay It All Down④Show Me A Smile

スペンサーの離脱に伴う71年の米ツアーを、元メンバーのピーター・グリーンの起用で乗り切ったバンドは、もう一人のgtrの必要性を感じ、スタッフのジュディ・ウォン(”Jewel Eyed Judy”で歌われた人)の推薦でアメリカ人ボブ・ウエルチ(70年にヘッド・ウエストというR&Bタイプのバンドをやってた人で仏Vogueから1枚LPを出しています)を起用しレコーディングに入ります。第7期のスタートです。

先のシングル”Dragonfly”にも通じる霧がかかったようなサウンドメイクがこの時期の特徴。A①はカーワンが書いた最高の名曲の一つでソフトな音作りが印象的で3人ハモれるのも魅力。「エコーを積んだアコースティックギターとエレクトリックギターの気だるい海に浮かんでいる」という批評もありました。

すでにツアーで披露されていたA②は”Start Again”というタイトルだったのだとか。大方のファンはクリスティンのチキン・シャックでの活躍やソロでのヒットを知ってたんで強力なメンバーの補強と喜んだことでしょう。スモーキーな歌声を聞かせるブルージーなナンバーです。動画はBBCライヴから。

A③はR&B~ジャズ的なインストで2分台に編集されていましたが、20年のリマスターでボーナストラックにロング・ヴァージョンが収録。何と歌入りでウエルチが歌いますし、長いイントロ(この部分は冗長)付。saxはクリスティンの兄ジョン・パーフェクトで、後年クリスティンのソロのprodを手掛けます。


タイトル曲A④はウエルチ曲で無名の新人ながら並々ならぬ才能を見せた美メロです。後年ソロでも再演します。カーワンの①はフェードインするイントロからしてミスティックな音作りが成功。決して明るくないメロディーですが、それでも以前よりは明るい。米で編集されてシングルになりましたが、本国ではアルバムの売り上げも不調で(英ではチャートインせず、米91位)シングルはありませんでした。2作続けての米高英低なのでアメリカのマーケットに目標を絞ることも考え始めたのでしょう。


B③はR&B的なもので元々は”Moses”のタイトルだったよう。ボックス「Chain」でも未発表ヴァージョンが入りましたが、BEAT CLUBでの演奏の動画がありました。


B④はリマスターで別ヴァージョンが発掘されてますのでそっちを貼っておきます、クリスティンが歌うメロディアスなもの。後ろで鳴っているカントリーっぽいgが心地いい。

そのリマスターではウエルチ作の”Stone”も発掘されています。ボツにするにはちょっと惜しいナンバーです。


アルバムジャケはミック社長の妹サリーが撮った写真が使われ(子供たちは社長の子供たち?)、裏にはメンバーのフォトと簡単なプロフィールが。なぜかマクヴィーのとことはロンドン動物園のペンギンで、バンドのロゴにペンギンが使われるのはもう少し後になります。日本盤等はクリーム色の裏地が一般的でしたが、英米ともモスグリーン色の裏地でした。

prodはバンド自身。エンジニアにはマーティン・ラシェント(後年ストラングラーズ、バズコックスを手掛けるprod)の名もクレジット。

新作に合わせて古巣がベスト盤をぶつけるというのはどこの世界でもよくありますが、Blue Horizon音源を持った英CBSが同じ9月に「Greatest Hits」をリリース。Reprise音源の”Dragonfly”まで入った12曲で皮肉にもこっちの方が英36位と好調でした。

前後しますが英CBSは5月にもBlue Horizon時代の未発表曲集「Original Fleetwood Mac」をリリースしています。

9■Dragonfly('71/3)

 9)Dragonfly('71/3)

ということになると71年3月にリリースされた次のシングル(英のみ)”Dragonfly”は、第6期(ブラニングが1期、マクヴィーに代わって2期、カーワン参加で3期、グリーン抜けて4期、クリスティン加わって5期、スペンサー抜けて6期)のラインナップになります。作者はカーワンでウェールズの詩人W.H.ディヴィスの詩に曲を付けたもので、夢幻的なアレンジが次の「Future Games」へとつながります。

71年3月のカリフォルニアのサン・ベルナディオでのライヴから。カーワンとクリスティンがvoをシェアします。

独BEAT CLUBでの動画はボブ・ウエルチ参加後(7期)になりますのでもう少し後か。


B面の”The Purple Dancer”もリマスターのボックスが出るまで入手困難な1曲でした。これもカーワンが書いて歌うナンバー。ひょっとしたらスライドはスペンサーかも。「Kiln House」のアウトテイクかも?







CH1*CHRISTINE PERFECT

 CH1*Christine Perfect 

それまでは「Future Games」('71)から正式参加で「Kiln House」はジャケット描いただけという話が定説だったクリスティン。43年英ランカシャーのグリーンノッド出身、バーミンガム周辺で育ちスタン・ウエッブのチキン・シャックに参加。チキン・シャックはマック、サヴォイ・ブラウンと共に3大ブルーズ(ロック)バンドと呼ばれましたが、ウェブのgとクリスティンのスモーキーな歌声が印象的。68年にエッタ・ジェイムズの”I’d Rather Go Blind"をカヴァーしヒットさせたのち、Blue Horizonのレーベル・メイトで「Mr.Wonderful」からサポートで参加していたマックのジョン・マクヴィーと結婚し69年にシャックを辞めています。

68年のチキン・シャックのデビュー作に入った”Hey Baby”


70年に初ソロ「Christine Perfect」をBlue Horizonからリリースしながら、マックのスタジオ作品のサポートなど裏方として活動、71年の1月からマックのツアーに正式メンバーとして加わっています。



(6)KILN HOUSE (1970/9/18)

(6)KILN HOUSE(Reprise:RSLP9004)1970/9/18

A)①This Is The Rock②Station Man③Blood On The Floor④Hi Ho Silver

  ⑤Jewel Eyed Judy

B)①Buddy’s Song②Earl Gray③One Together④Tell Me All The Things You Do

  ⑤Mision Bell

グリーン時代末期に、いたりいなかったりが多かったスペンサーの事を3人目のgtrダニー・カーワンがどう思ってたのかはわかりませんけど、ロンドンの南、オールトン近くのメンバーが暮らしていた家(ミック社長がジェニー・ボイド(姉はレイラのモデルになったパティ・ボイドです)と70年6月に結婚式を挙げた)をタイトルにした「Kiln House」('70)です。

スペンサーのロカビリー〜ロックンロール好きが前面に出て、暗いムードもあったブルーズ時代とは少し変わっています。ジャケットのイラストは正式参加前(レコーディングには参加、ノークレジットですが)のクリスティン・マクヴィーが描いたもの。68年頃からまともにスタジオでのレコーディング・セッションに参加してなかったスペンサーの真意はわかりませんけど、ミック社長が喝を入れたに違いない。スペンサー好みのバディ・ホリー調のA①からはじまりますが、脱ブルーズロックとはいえブルーズを残した部分の演奏は多いです。 A②はスペンサーとカーワンが歌う派手さのないナンバーで、レコーディングに参加たクリスティン(イラストだけと言われてましたが)の声もしっかり聞こえます。PVはレコーディングセッションもとらえた貴重なもので、緑眩しいキルン・ハウス周辺の風景も印象的です。

またバッキンガム=ニックスがバンドに参加直後には、レパートリー不足ゆえ、昔の曲を歌ったりもしましたが、スティーヴィーがリンジーとのツインvoで歌われなかなかカッコイイと思います。レパートリーがそろってくると当然セットリストから消えましたが。


A④は
ジョニー・バーネット&ロックンロール・トリオの”Honey Hush”がオリジナルで、フォガットのカヴァー(ロックンロール・トリオの代表曲”Train Kept A Rollin'”のリフを盛り込んだ高速ハードロック化)も知られています。

英ではシングルが切られませんでしたが、米ではA⑤がカット(しかもリリースから4か月後)。しっとり始まるフォークロック風ですが力強く爆発するような歌声はカーワンです。なぜかオランダで2位になったのだとか。ちなみにタイトルのジュディ・(ウォン)はマックの事務所の秘書をやってた女性。A③B③のようなややカントリーテイストのある曲は意外にもスペンサーのペンによるものでハーモニーなどオールディーズのムード。後年発掘された「Madison Blues」(’)にはこのスペンサー期のスタジオ・ライヴが入っておりました。ややハードロックテイストもあるブルージーなB④ではノークレジットながらクリスティンのエレピがはっきり聞こえます。

”Tell Me~”の熱のこもった演奏

ラストのB⑤ではクリスティンのハーモニーがしっかり聞こえます、これはドニー・ブルックスで知られる60年のヒットのカヴァーでこの辺の好みはスペンサーですね。

英39位/米69位。とりわけ米でこれまでで一番売れた1枚でした。

71年1月のツアーからクリスティン・マクヴィーが正式メンバーとして参加するも、スペンサーはメスカリンの過剰摂取で不安定となり、脱退。そしてそのままカルト教団Child Of Godに拉致され(本人の弁に寄れば自主的に)マックを脱退。スペンサーの穴は急遽イギリスからグリーンを呼び戻すことでなんとかしのいだとのこと。ただ長時間のインプロヴィゼーションを含むショーは好評で懐が潤ったもののバンドはかなり疲弊したらしいです。


GR1*THE END OF THE GAME('70/12)

*THE END OF THE GAME / Peter Green

(Reprise:)

ドラッグによる体調不良を原因にマックを辞めたグリーンは、その状態のまま6月にバースでのBath Festival Blues And Progressive Musicにジョン・メイオールらと出演。

同じ時期アレックス・ドモンチョフスキー(b~元エインズレー・ダンバー・リタリエーション)、ゴドフレイ・マクリーン(ds~ガス)、ズート・マニー(kb~元アニマルズ)らをバックにしたジャム・セッションをレコーディングしRepriseがリリースしたのが初ソロ「End Of The Game」でした。

リズミックな演奏ではなく切り裂くようなgは聞けるものの垂れ流しに近い冗長なジャムは好みが分かれるでしょう。


前後しますがマクリーンがらみでガス(ボブ・テンチがvo)の唯一作「Gass」にもgで参加しています('70)。その後同傾向の2枚のシングル”Heavy Heart”('71)、”Beast Of Burden”('72)をリリース。

瞑想的でイッてしまってるような”Heavy Heart”


”Beast”は後にグリーンは三度引っ張り上げる役割となったナイジェル・ワトスンとの共作クレジットでvoもシェア。


72年以後は単発的にマックとかかわったり、する以外はメンタルの治療に専念。79年のカムバック以降隠遁生活となります。



2024年5月10日金曜日

SP1*JEREMEY SPENCER ('70/1/23)

*JEREMY SPENCER / Jeremy Spencer

                                                           (Reprise:K44105) '70/1/23

初期にはエルモア・スタイルのスライドをかまし、存在感が十分だったジェレミー・スペンサーは、”Albatross”の頃からライヴはともかくスタジオ盤では影が薄く、前作「The Play On」ではほとんど爪痕を残していない。ロックンロールのパロディー的な部分をステージでは見せていましたが。バンド活動への情熱を失っていたわけではなく、この時期自身のソロをレコーディングしていたからで、バックにはマックのメンバーが参加(グリーンは1曲でbanjoを弾く程度)。ブルーズ的なものではなく、やはりオールディーズに根ざしたロックンロールへの御マージュ中心(シャナナとかウィザードとか目指してる方向が近い)です。

ボ・ディドリー・ビートの”He Comes Charlie”。


バディ・ホリー・スタイルの”Linda”。

時期は前後しますが、70年5月にツアー終了と同時にグリーンは脱退。バンドはスペンサーをフロントに立て直しを図り新たなスタートを切るのです。


 

2024年5月9日木曜日

Peter Green Era Compilation

 

67年8月から70年5月という短い在籍期間でしたがやはりピーター・グリーン・エラこそがブルージー・マックの本領とばかり未発表ヴァージョンを含む編集ものは数多いです。

C1■Original Fleetwood Mac(CBS:63875-UK) 1971/5

Blue Horizon時代の未発表曲、ヴァージョン違いなど12曲

C2■Fleetwood Mac Greatest Hits(CBS:69011-UK) 1971

1曲のみグリーン脱退後の作品(”Dragonfly”)がありますがそれ以外はグリーン時代のシングル曲を中心にセレクトした(Reprise時代含)入門向きのベスト盤。

C3■Vintage Years(CBS:88227-UK) 1975

Blue Horizon時代の音源をまとめた24曲(既発曲のみ)。BH音源はこの時代米Sireからもリリースされてました。80's当時一番手軽に聞けたグリーン時代の2LP(とりわけSire盤)

C4■Live In Boston(Shanghai:HAI107-UK)1984

発掘された70/2/5&7のボストン・ティー・パーティーでのライヴ音源。7曲。

日本では85年にポリドールからLP化。その後CD化。

C5■Live In Boston Vol.1~3(Snapper Music)1998

70/2/5,6,7の3日間の音源を再編集し未発表分を加えた3枚。更にボックス「Boston」もあり。

C6■London Live'68(Thunderbolt:THBL1038-UK) 1986

ロンドンの大学での68年4月のライヴ

C7■Live At Marquee(Receiver:RRLP157-UK) 1992

67/8/15マーキーでの初の単独ライヴ。日本盤はテイチクから。

C8■Live At The BBC(Essential:EFD297-UK) 1995

決定版ともいえるBBC音源2CD。日本盤はクラウンから。

C9■The Vaudeville Years(Receiver:RDPCD14)1998

デモ音源など多彩な2CD

C10■Showbiz Blues(Receiver:RDPCD15) 2001

C9の続編でピーターBズ・ルーナーズの音源含


8■The Green Manalishi ('70/5)

 8)The Green Manalishi(With The Two Prong Crown)('70/5)

"Man Of The World"の頃からグリーンの状態は変化してきており、LSDに耽溺し不可解な言動も増えてきたと言います。wikiによると70年3月ツアー先のミュンヘンでのパーティーでのLSDの接種が決定的だったとのこと。結局ツアーが終わった5月にグリーンはマックを脱退するのですが、そのさなか4月に録音され5月にリリースとなったのが最後のシングル”The Green Manalishi”。時代のトレンドがブルーズ・ロックから大音量のハードロックに移行しつつあった時期、”Rattlesnake”以上にヘヴィな音を聞かせます。タイトルにもなったマナリシ(Manalishi)とはグリーンのLSDによる幻覚がもたらしたものなんでしょうか?

最高位10位(英)まで上昇。これ以降”Tusk”('79)までイギリスではシングルヒットが出ませんでした。後にジューダス・プリーストもカヴァー。



スウェーデンでのライヴです。


B面はやはりスペンサー未参加で、グリーンとカーワンの2本のg織りなすヘヴィなインストで、これはとても美しい”The World In Harmony”。



 


7■Oh Well ('69/9)

 7)Oh Well ('69/9)

本国では「Then Play On」からのカットではなく、”Oh Well”をPt1とPt2に分け英6thシングルとしてリリース。

Pt1は、アコースティックに始まるテンポの速いエレクトリック・ブルーズ・ロックで、全英#2まで上がるヒットとなりました。グリーンとカーワンの2本のgが交差し、voと演奏のコール&レスポンスが強調されています。ゼッペリンの”Black Dog”に影響を与えたとジミー・ペイジはインタヴューで語っていました。

B面のPt2は一転して哀愁のメロディを持ったマイナーコードのメランコリックな(グリーンの元カノのサンドラ・エルスドンのrecorderといい)インストで前半と後半で全く表情が違います。77年頃まではステージのレパートリーに入っていましたが大体はPart1のみ。動画はグリーン時代のBBCです。英2位米55位のヒットになりました。米では不発だった”Rattlesnake”に代わって2か月後の11月にシングルがリリースされ、”Oh Well”2曲を加えたLPのセカンド・エディションが出ています。


個人的に初めて聞いたこの曲は77年12月の初来日の「ヤング・ミュージック・ショー」でバッキンガム・ニックス時代以外の唯一のレパートリーでした。コンパクトにまとまったカッコいいナンバーだと思ったのでした。



6■Rattlesnake Shake ('69/9)

 6)Rattlesnake Shake(’69/9)

「Then Play On」は英米同時にリリースされましたが米ではこっちの方が売れるだろうというマネージャーのクリフォード・デイヴィスの案で”Rattlesnake Shake”がシングル・カット。

ブルーズ・ロックの範疇を越えハードロックの領域に踏み込もうとするサウンドで結果的にチャートしませんでしたが、エアロスミスなど後続の米ハードロックに与えた影響は少なくなかった模様(エアロはデビュー前の73年頃にライヴでカヴァー、そのエアロのカヴァーに影響されたモトリー・クルーもカヴァー)。”ガラガラヘビ”を模したマラカスの音は実は本物のサンプリングなのだとか。ずばりマスターベーションの事を歌ってるとミック社長は語ってます。ミック社長お気に入りのマック曲でソロ「The Visitor」でも再演。そこでは復帰したばかりのグリーンも加わって弾いてました。


20年のグリーン・トリビュートでvoを取ったのはそのエアロのスティーヴン・タイラー。90'sにリンジー・バッキンガムの後任としてマックに加わったリック・ヴィトーが意外にブルージーなスタイルにフィットしてることがこういう企画ものでよくわかります。


ミック社長のソロでの再演。


B面はLPのトップを飾った”Coming Your Way”で、歌詞の「I hope you don't mind 'Cause I'm going your way」の部分が「舞妓さん」に聞こえるから、日本でのシングルに「マイコさん」という邦題、おまけにジャケットには「日本のファンのために歌う」という大ウソが(^^) しかしおおらかな時代(ビクターからRepriseが出てた時代)でした。画像はもちろん拾いものです。





2024年5月8日水曜日

(5)THEN PLAY ON (1969/9/19)

 (5)Then  Play On(Reprise:RSLP9000)1969/9/19










A)①Coming Your Way②Closing My Eyes③Fighting For Madge

  ④When You Say⑤Show Biz Blues⑥Underway⑦One Sunny Day

B)①Although The Sun Is Shining②Rattlesnake Shake

 ③Without You④Searching For Madge⑤My Dream⑥Like Crying

 ⑦Before The Beginning

オリジルLPとして3枚目になる「Then Play On」は英Reprise移籍第1弾となるもの。米盤は「English Rose」に収録のA⑦B③をカットした12曲が初回盤、

”Oh Well”Pt1&2を加えA④⑦B③⑤をカットした12曲がセカンド・プレスとなっています。

3人のギタリストの時期ですが、スペンサーはクレジットでは”Oh Well Pt2”でのpianoだけになっています。Madgeという女性を歌ったインストの2曲がA③はミック社長が、B④はマクヴィーが曲を作るという珍しいパターン。アコギのソフトな魅力が印象的なA④B①といったカーワンの存在感が増していますが、彼が書いたベスト曲はメロウなB⑤でしょう。

英4位/米109位  prodはバンド自身。エンジニアとしてマーティン・バーチの名が初めてクレジット。クリスティン・パーフェクトはノークレジットですがpianoで参加。 

メロウな”My Dream”

ラフなインスト”Fighting For Madge”

https://en.wikipedia.org/wiki/Then_Play_On

ジャケットはマックスウェル・アームフィールドの20'sの作品からで、タイトルはシェイクスピアの”十二夜”の一節から取られています。

アルバムには当初出番が少なかったスペンサーのための「The Milton Schltz Show」という5曲入りEPが付属のはずでしたが延期。最終的に「Vaudville Years」というコンピで完全版EPが収録されたという事です。ドゥーワップやロカビリー、ノヴェルティ的なジョークソングを架空のTVホスト、ミルトン・ショルツの語りに乗せて展開するクレージーな20分です。




5■Man Of The World('69/4)

 5)Man Of The World('69/4)

Blue Horizonを離れアンドリュー・ルーグ・オールダムが設立したImmediateレーベルに移った69年のマックですが、”Albatross”の成功を受けソフトロック+ブルーズの路線になった英5th”Man Of The World”は全英#2まで上がるヒットとなりました。ただImmediateレーベルの閉鎖で結局このシングル1枚のみとなりました。この録音はチェス・スタジオでのセッションから数日後と聞いてますが、振れ幅がすごい。


マックのステージでもスペンサーのロカビリー趣味は発揮されてましたが、このB面のアール・ヴィンス&ザ・ヴァリエンツ名義の演奏はもろエルヴィスです。

”Somebidy’s Gonna Get Their Head Knocked In Tonite”です。

この後、Immediateレーベルの閉鎖で、英Repriseに移籍することになるのも69年の内です。米ではシングルは出てません。


(4) BLUES JAM AT CHESS (1969/12/5)

(3)BLUES JAM AT CHESS(Blue Horizon:7-66227)1969/12/5

リリースは前後しますが、69年1月4日、2度目の米ツアー中にシカゴのChess Studioによってセッションした模様が2枚組でリリース。日本では1枚ものを2枚で、米盤は「Fleetwood Mac In Chicago」「Blues jamIn Chicago」のタイトルでもリリース。

(3)" THE PIOUS BIRD OF GOOD OMEN (1969/8/15)

 (2)" THE PIOUS BIRD OF GOOD OMEN

                                               (Blue Horizon:7-63215)1969/8/15








A)① Need Your Love So Bad ②Comin' Home③Rambling Pony

 ④ The Big Boat⑤ I Believe My Time Ain't LongThe Sun Is Shining

B)① Albatross②Black Magic Woman③Just the Blues④Jigsaw Puzzle Blues

 ⑤Looking for Somebody⑥Stop Messin' Round

「English Rose」同様シングルを入れた英Blue Horizonからのコンピですが、こっちはA⑤/A③、B②/A⑥、A①/B⑥、B①/B④の4枚のシングルの両面+各LPから1曲ずつ+エディー・ボイド(p,vo)のバックを務めた音源2曲を加えたもの。04年のCD化の際にはレアテイクを加え選曲がガラッと変わりました。

最初に書きましたが77年のCBSソニー創立10年の記念企画ロック名盤シリーズの中でマックから選ばれたのは「英国の薔薇」とこの「聖なる鳥」でした。まあ入門者としてうってつけの選曲です、と思ったのですが調べてみると日本盤「聖なる鳥」の選曲はオリジナルと違い、「PG'sFM」のA面(B面は日本盤「ワンダフル」にそのまま)+A①③④⑥B③という「英吉利の薔薇」とは一切重ならないものだったのです。こちらにくわしい。

http://nanioto.blog42.fc2.com/blog-entry-783.html

エディー・ボイドのバックを務めた音源の一つB③です。



(3)” ENGLISH ROSE ('1968/12/28)

 (2)" ENGLISH ROSE (Epic:BN26446-US) 1968/12/28










Side 1
No.TitleWriter(s)Other releaseLength
1."Stop Messin' Round"Clifford AdamsPeter GreenMr. Wonderful2:22
2."Jigsaw Puzzle Blues"Danny KirwanNon-album single1:36
3."Doctor Brown"J. T. BrownW. GlascoMr. Wonderful3:46
4."Something Inside of Me"KirwanPreviously unreleased3:57
5."Evenin' Boogie"Jeremy SpencerMr. Wonderful2:42
6."Love That Burns"Adams, GreenMr. Wonderful5:05
Side 2
No.TitleWriter(s)Other releaseLength
1."Black Magic Woman"Peter GreenNon-album single2:48
2."I've Lost My Baby"SpencerMr. Wonderful4:17
3."One Sunny Day"KirwanThen Play On (UK version)3:12
4."Without You"KirwanThen Play On (UK version)4:40
5."Coming Home"Elmore JamesMr. Wonderful2:40
6."Albatross"GreenNon-album single3:07


米では「Wonderful」はリリースされず既発のシングルと「Wonderful」からのセレクトに未発表曲を加えたコンピの「English Rose」が米セカンドとしてリリース。日本でも「英吉利の薔薇」という邦題でリリースされた日本デビュー盤(ちなみに日本でのセカンドはここに入ってない「Wonderful」の曲+「Peter Green’s~」のB面による独自選曲の「ミスター・ワンダフル」)となりました。「Wonderful」に通じるジャケットは女装しメイクしたミック社長の怒りの形相でかなりのインパクトあり。これで日本でいうところの大和撫子的な英国薔薇なのだから笑えます。

B①⑥をメインに新加入のカーワンが書いた新曲A④B③④(後に「Then Play On」UKヴァージョンに収録)を加えたセレクトはスペンサーの影の薄さを強調するものでした。

新曲の一つB④はパープルの”When A Blind Man Cries”の元ネタのようなマイナーブルーズ。一見共通項なさそうですが、パープルのエンジニア、プロデューサーのマーティン・バーチはマック作品でもエンジニアとして仕事をしています。最高位184位。



4■Albatross ('68/11)

 4)Albatross('68/11)

シカゴスタイルのブルーズ(ピーター・グリーンのアイドルはもちろんB.B.キング)から始まったマックの歴史は、すぐさまコピーだけに飽き足らずオリジナルの音楽になっていきます。英4thシングルで全英#1となった”Albatross”は、美しいインストでサント&ジョニーの”Sleep Walk”にインスパイアされたとのことです。若干18歳のダニー・カーワンが加わり3人のgtrになった時期ではありますが、レコーディングにスペンサーは未参加ということです。steel-gみたいにきこえるgが印象的。ビートルズの「Abbey Road」に入った”Sun King”はこの曲からの影響があると、ジョージは語ってたそうです。

ただこのBBCの動画にはスペンサーは参加。


晩年のグリーンの復活を印象付けたスプリンター・グループではアコースティック・セットとして再演。


グリーン・トリビュート(気が付かなかったのですがこの2020/2/25の時点でグリーンは存命でした)ではデイヴ・ギルモアのlapsteelをフィーチャーしています。


B面は第三の男、ダニー・カーワン作の”Jigsaw Puzzle Blues”で、今までない明るさがあります。カーワンの参加によって表現の幅が広がった感じします。





(2) MR. WONDERFUL (1968/8/23)

  (2) MR. WONDERFUL (Blue Horizon:7-63205) 1968/8/23










A)①Stop Messin’Around②I've Lost My Baby③Rollin’Man④Dust My Broom

 ⑤Love Thet Burns⑥Doctor Brown

B)①Need Your Love Tonight②If You Be My Baby③Evening Boogie④Lazy Poker Blues

 ⑤Coming Home⑥Trying So Hard To Forget

初期のマックはシングルとアルバムを別に考えていて、セカンド、サードシングルもLP未収録です。このセカンド「Mr.Wonderful」もグリーンとスペンサーが半々ずつ曲を担当。軽快なA①はクリスティン・パーフェクト(当時チキン・シャック)のpianoとホーンズ(「英国の」という但し書きが付いたテラさんのレココレの記事が懐かしい、アンボイ・デュークスやジョニー・アーモンドら)のサポートが効果的なもの。フレディ・キング風のグリーンのgが聞けます。後にゲイリー・ムーアやエアロスミスもカヴァーしています。”Stormy Monday”風のA②を挟んで再びホーンズとgの絡みがカッコいいR&B的なA③はBBキング風。ブルーム調といわれるエルモア・ジェームズ・スタイルのA④は、当時の英ブルーズ・シーンの定番。ヤードバーズも”Nazz Are Blue”としてカヴァーしてました。A⑥B①も同タイプのエルモア風ナンバーでスペンサーの十八番となっています。B③はエルモアの”Hawaiian Boogie”風インスト。

当初「A Good Length」のタイトルで男根を、次に「Udder Sucker」のタイトルで牛の下でジャケットに写るミック社長、という案は次々に却下され、最終決定公となったのは半裸のミック社長でのこのタイトルでした。

https://en.wikipedia.org/wiki/Mr._Wonderful_(Fleetwood_Mac_album)

https://www.youtube.com/playlist?list=PLKIvpq399NNfMvAub7ErC4_9vLDqTO_D5


個人的にベスト・テイクがこの”Stop Messin’ Around"。

’20/2/25のロンドン・パラディアムでのピーター・グリーン・トリビュート。

ミック社長(ds)、クリスティン(kb)、リック・ヴィトー(g)、ニール・フィン(g)といった新旧のメンツにスティーヴン・タイラー(harp)、アンディ・フェアウェザー・ロウ(g)、ザック・スターキー(ds)、カーク・ハメット(g,メタリカ)、ノエル・ギャラガー(g)、ジョニー・ラング(g)らゲストを加えたミック・フリートウッド&フレンズ名義のPVではクリスティンが歌います。


また”Rollin’ Man”は先のトリビュートではリック・ヴィトゥーが歌いました。





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